2011年7月20日水曜日

京の近代建築(その5)

大正時代(その2)     ≪カメラ片手にぶらり≫

1・梅小路機関車館・車庫 (国重要文化財) -京都市下京区七条歓喜寺町-


*手前:お召し列車*
1914(大正3)年、鉄筋コンクリート造りで竣工した。
車庫は扇形で20線の引込線を収容する構造。
日本の鉄道輸送を支えた蒸気機関車を貴重な文化遺産と位置付け、その動態保存を目的とした日本最初の施設である。
1987年の国鉄分割民営化でJR西日本が引き継ぎ、現在も現役の車両基地として、蒸気機関車御や京都の嵯峨野観光鉄道のディーゼル機関車の検査・修理を行っている。


2・川崎家住宅[紫織庵] (京都市指定有形文化財) -中京区新町通三条下る-


1926(大正15)年、室町の豪商・四代目井上利助が建設した。
元は江戸後期、寛政・享和の名医・荻野元凱が医院を廃業し、明治時代まで医院と門弟の教育所として使用されていた。
大正になって前記井上利助がモダンな洋間を加えて新築し、洋館の外壁は旧帝国ホテルと同じタイルが使われており、屋上は祇園祭りを見るための「鉾見台」となっている。

今は「紫織庵」の名で「京のじゅばん&町家の美術館」として運営されている。


3・SACRA[旧不動貯金銀行京都支店] (国登録有形文化財) 
-中京区三条通富小路西入る-

1916(大正5)年頃の建築と言われ「サクラ」と読む。
1階は煉瓦造り、2~3階は木造煉瓦造りである。
不動貯金銀行は1900年に千葉県出身の牧野元次郎により設立され、日本最大の貯蓄銀行となったが、1945(昭和20)年5月、政府命令で合併し日本貯蓄銀行となった。
1948(昭和23)年に普通銀行に転換し協和銀行となり、更にりそな銀行と変遷する。

現在はテナントビル。







4・日本生命京都三条ビル外観 (京都市登録文化財) 
    -京都市中京区三条通柳馬場西入る-

1914(大正3)年、辰野金吾・片岡安の設計に
より建築。

外観は石貼りで内部は鉄骨が入っている。

1983(昭和58)年の改築では、特徴のある円錐形の
塔屋を含む東側部分はRCで補強され保存されて
います。



                                                 *円錐形塔屋*





5・日本キリスト教団京都御幸町教会会堂 (京都市指定有形文化財) -中京区御幸町通二条下る山本町-

1913(大正2)年、ヴォーリズ建築事務所の設計による煉瓦造り平屋建てのほぼ矩形の建築物である。












上部は中二階となっており、奥に広い礼拝堂があるが、天井はなく、最奥部に講壇があると左上の説明板に書かれている。

6・聖ヨゼフ修道院の家、門 (国登録有形文化財) -北区東紅梅町-

1920(大正9)年、旧住友家衣笠別邸として建築。
広大な敷地に洋館と和館があったが、戦後取り壊され、修道院の門と門衛所(門の家)のみが残った。
門の家は、腰部分が煉瓦壁で、上部は木造のハーフテンバー様式で建てられている。

(注)ハーフテンバー様式
前回「京大基督教青年会館」にもあった
「木骨様式」のこと。

7・富士ラビット (国登録有形文化財) -京都市下京区七条通新町西入る-
現在は丼屋の“なか卯”








1923(大正12)年、自動車販売会社・日光社の社屋として建築された。
外観は古典的な柱型装飾が施され社名に因み塔屋部分に太陽を象った意匠を採用している。
1階は自動車関連を描いたステンドグラスで装飾。
富士ラビットの名称は富士ラビットスクーターの会社となった名残である。

8・京都市考古資料館 (京都市登録文化財) -京都市上京区今出川通大宮東入元伊勢町-

1914(大正3)年、本野精吾の設計により西陣織を陳列する西陣織物館として建築された。
1979(昭和54)年に補強改修され、三階の貴賓室を除き大きく改造されたが外壁と貴賓室は建築当時のまま残されたという。


現在は京都市埋蔵文化研究所として公開されている。                   

9・船岡温泉脱衣場、浴場、旧船岡楼、旧理髪店 (国登録有形文化財)
-京都市北区紫野南舟岡町-
船岡温泉は料理旅館「船岡楼」と付属浴場「船岡温泉」として営業していた。
建築年代は「旧船岡楼」「旧理髪店」「脱衣場」は1932(昭和7)年といわれている。
              
脱衣場内部には、葵祭り・賀茂競馬・今宮神社祭礼・近江八景など
旧理髪店外観
の彫刻欄間や鞍馬天狗の彫刻が嵌められている。


旧理髪店は木造2階建てで、平屋屋根 の
正面外壁をモルタルで仕上げている。




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2011年6月10日金曜日

京の近代建築(その4)

カメラ片手にぶらり散策。
大正時代(その1)

1・同志社女子大学 ジェームズ館 (国登録有形文化財) -京都市上京区烏丸通今出川東)

1913(大正2)年、関西建築界の父と
言われた武田五一の設計による赤煉瓦
積みに花崗岩の白い水平ラインを配したデザインである。


栄光館を中心にこのジェームズ館と
清和館(現存せず)が左右対称に並んで
いた。 




2・京都大学 文学部陳列館 (国登録有形文化財) -京都市左京区吉田本町-

1914(大正4)年、煉瓦造り2階建てで京大営繕課の
山本治兵衛と永瀬狂三の両氏が設計した。


京都帝大拡張期の代表的建物といわれており、ブロークンペディメント(切妻屋根破風の西洋版)や楕円形窓などネオ・バロック様式を基調とした建物である。
陳列館としての記念碑的性格を持っている。



3・京都大学 農学部表門および門衛所 (国登録有形文化財) -左京区北白川追分町-

1924(大正13)年、森田慶一助教授が設計した建物で放射状のアーチを配し、分離派建築会の表現主義的作風が用いられているという。

ドイツ表現派のモチーフを採用しつつ、日本瓦を載せ
全体に品格あるデザインといわれている。




4・京都大学 楽友会館 (国登録有形文化財) -左京区吉田近衛町-

京大創立25周年記念同窓会館。
1925(大正14)年、上記農学部表門および守衛所に
続く森田助教授の作品。
鉄筋コンクリート造り2階建てで、スパニッシュ様式を
採用しているようで、入口のY字型の柱や丸屋根の庇には分離派風の表現主義的意匠が見られるという。
2010年に改装され、会議室や喫茶食堂を備えた会館として再生された。


5・京都大学 基督教青年会館 (国登録有形文化財) -京都市左京区吉田牛ノ宮町-

1913(大正2)年、米人建築家W.M.ヴォーリズの初期の作品といわれている。
旧京都帝大学生YMCA会館の寮であった。
外観はモルタル塗りで木部を貼りつけた意匠でハーフディンバー(木骨様式)風になっている。

大学YMCA会館としては、現存最古の建物である。




6・藤井斉成会館有鄰館第一館 (京都市登録文化財) -京都市左京区岡崎円勝寺町-

1926(大正15)年、武田五一の設計。
兼松江商や山陽紡績の創立や役員、衆議院議員を務めた藤井善助が収集した中国美術工芸品(青銅器、陶磁器、仏像彫刻、磚石(中国漢代の建築用煉瓦)印璽、書蹟、絵画など)を展示した私立美術館。   
玄関
近代的な私立美術館では東京の大倉集古館に次ぐ歴史的建築遺構で貴重な建物とされている。                       


7・旧京都中央電話局上分局 (京都市登録文化財) -京都市上京区中筋通丸太町橋西南-
                       
1923(大正23)年に上電話局として当時の逓信省技術師吉田鉄郎が設計し、清水組が施工した。 
設計者・吉田鉄郎は、後の東京・大阪の中央郵便局を初め多くの優れた作品を手懸けた人。

鉄筋コンクリート造り一部3階建てで、ドイツ民家風の外観になっている。
建物はレストランに活用されたり、現在はスーパーマーケットが利用している。


8・エンマ[旧村井銀行祇園支店] (国登録有形文化財) -京都市東山区四条通大和路東入る祇園南側-

 1924(大正13)年、たばこ王・村井吉兵衛が煙草専売後に興した村井銀行の祇園支店。

玄関扉

四条通り側の外観には4本のイオニア式のジャイアント・オーダー(複数階にわたる柱、梁)が付けられた鉄筋コンクリート造り2階建てで、屋上にはバラストレード(手すり壁)が設けられている。

現在はイタリア料理店の Cara Ragazza「カーラ・ラガッツァ」として利用されている。                         



9・レストラン菊水 (国登録有形文化財) -京都市東山区川端通四条上る-

1926(大正15)年に建築された。
瓦せんべい屋であった初代菊水館創業者・奥村小次郎が「ハイカラな西洋館でおいしい西洋料理を食べてもらいたい」と洋食屋を決意し、大正期の京都の新建築活動の規範的作品を作った。


昭和30年に屋号を「レストラン菊水」とした。



10・祇園甲部歌舞錬場 (京都市東山区祇園南側)                
     ☆本館・別館・玄関 (国登録有形文化財)

正面入り口

「都おどり」の開催場所と舞妓、芸妓を養成する芸妓学校との2つの機能を持つ施設で、1913(大正2)年の建築である。

戦前は観劇等級に応じて玄関や待合が必要だったので複数の出入り口が設けられていた。
本館は舞台・客席を持つ大規模な木造建築物である。
別館は、一等客用に使われた。
左:別館         右:八坂倶楽部

左:本館







唐破風玄関の車寄せ




     ☆八坂倶楽部 (国登録有形文化財)は最奥部に
       あって最も庭園の眺めが良かったため特等客用
       に使用された。
       いずれも上質のヒノキ材を使った和風建築。











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2011年2月11日金曜日

京の近代建築 (その3)

カメラ片手にぶらりと散策しました。
明治時代 (その3)

1・京都大学正門 [旧第三高等中学校正門] (国登録有形文化財) -京都市左京区吉田本町ー

京都大学は1869(明治2)年、大阪で舎密局として開校。 1886(明治19)年に第三高等中学校と改称された。
明治22年 京都へ移転され、同27年 第三高等学校となった。
明治30年、京都帝国大学創設。 1947(昭和22)年 京都大学となった。

2・京都大学 総合人間学部正門と門衛所 {旧第三高等学校正門と門衛所] (国登録有形文化財)
*人間学部正門*


*八角屋根の門衛所*










明治30年、第三高等学校正門として建設。 木製の両脇に通用門がついている。
門衛所と共に真水英夫氏の設計という。

3・京都大学 尊壌堂 (国登録有形文化財)

1903(明治36)年建築。
幕末の長州藩士・品川弥二郎(松下村塾門下生:明治期の政治家)が吉田松陰の意志を継いで明治20年に京都高倉錦小路の尊壌堂を建造そし、尊王志士の霊を祀り、志士の殉難資料や遺品、遺墨等を収集して、祭儀などを行った。
品川弥二郎の死後(1900年没)、1903年 京都大学に寄贈された。

ちなみに品川弥二郎は戊辰戦♬争の際に官軍が
歌った♪・・・
♪「トコトンヤレ節」(宮さん宮さん)を作詞したと
言われている。

4・京都大学 清風荘 (国登録有形文化財) -京都市左京区田中関田町-

*京都大学HPより*
1732(享保17)年ころには徳大寺家の別荘であった。
徳大寺家から西園寺家へ嗣子となった西園寺公望
公爵の京都別邸として使用されていた。
その後、公望公の実弟・友純(春翆)が養子にいった
住友家が譲り受け、住友家から京都大学へ寄贈されたもの。
庭園は1911(明治44)年から5年をかけて明治・大正
時代の庭師である七代目小川治兵衛の作庭である。
現在は内外の賓客接待や教官の集会に利用されている。
*一般非公開*



5・日本聖公会聖アグネス教会聖堂 (京都市指定文化財) -京都市上京区烏丸椹木町上る堀松町-

1988(明治31)年、平安女学院のチャペルとして建築された。
ゴシック様式でレンガ造りの建物は立教学校(現立教大学)の初代校長であったジェームズ・ガーディナーの設計。
当時の竣工日記には「塔の紋が菊と紛らわしいので取り替えるよう警察から指示があった」と記述されているという。
同学内には足利義昭の旧二条城跡の石碑がある。

6・京都ハリスト正教会生神女福音聖堂 (京都市指定文化財) -京都市中京区柳馬場通二条上る-

生神女福音聖堂は1901(明治34)年に正教会京都聖堂として建築された。
建築様式はロシア・ビザンチン様式で、幅15m、奥行27m、高さ22mで玄関・聖所・啓蒙所・至聖所が一直線に並び、聖所を中心に十字架を形成しているという。
聖堂はロシア正教会から寄付されたモスクア製の聖像(インコ=神や天使を壁等に描いたもの)30枚がはめ込まれた聖障、教鐘、大灯明等があると言われている。

7・衣笠会館 (国登録有形文化財) -京都市北区下白梅町-       


1905(明治38)年、京都綿ネル㈱専務の藤村岩次郎氏の旧邸であった。
戦後、京都工芸繊維大学の所有となり外国人教員の宿舎に使用されていたこともあるという。
現在は文部科学省所管の財団法人衣笠会・繊維研究所として使われている。 



8・本願寺伝道院 (京都市指定文化財) 
  -京都市下京区東中筋通正面下る紅葉町-

1912(明治45)年、西本願寺真宗信徒生命保険会社の社屋として東京帝国大学伊東忠太教授の設計、竹中工務店の施工で建築された。
当初は「本館」のほか「付属室」「倉庫」などがあったようだが現在は「本館」
が残るのみ。


塔屋の形態や柵柱の石造怪獣などに特徴があるといわれている。    








9・旧柳原銀行 (京都市登録有形文化財) 
-京都市下京区河原町通塩小路下る下之町-

 1927(明治32)年、柳原町第二代目町長・明石民蔵らによって設立された銀行で、この地域が同和地区で差別のために融資を得られない皮革業者らに融資を行い、地元産業育成や振興に貢献し、その利子を地元の小学校の運営資金や道路建設資金に充てるなどをして地元へ貢献した。







大正時代に山城銀行と改称し営業を拡大したが、金融恐慌を受けて
1927(昭和27)年に倒産した。

§柳原地区の碑§
☆桜田儀兵衛氏の碑☆
桜田儀兵衛(1832~93年)は、市町村制施行の柳原町初代町長で、柳原小学校の建設、  私財を投じて貧困者救済、鉄道敷地交渉、コレラの発生防止、皮革工場へのドイツ人     技師招聘など地域の発展に貢献した。
その業績を顕彰して町民が石碑を建立した。

☆銭座場跡☆
  銭座場とは貨幣鋳造所のこと。
1698(元禄11)年、七条通りと高瀬川の交差する
現在の崇仁地区に銭座が設置され、寛永通宝の   鋳造が始まった。
1707(宝永4)年には宝永通宝(大銭)の鋳造が
始まり、1709(宝永6)年まで続けられたが鋳造所
は廃止された。 
その後、この地区は「銭座跡村」と呼ばれたという。

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2011年1月20日木曜日

「京の近代建築」(その2)


カメラ片手にぶらりと出かけました。
明治時代(2)

1・龍谷大学 (京都市下京区七条通大宮東)
正門から本館を望む



☆本館(重要文化財)
龍谷大学は1639(寛永16)年に西本願寺が設立した学寮を起源とし、1922(大正11)年に龍谷大学とされた。                


本  館











     本館は、1879(明治12)年に竣工した。
北 黌







☆北黌・南黌(重要文化財)
本館を挟んで北黌と南黌は左右対称になって
おり、白亜の壁と欧風窓の優雅な建築物で本館と
同じ 1879年に竣工した。
旧守衛所






                        ☆旧守衛所(重要文化財)
          煉瓦造り平屋建てで、内部は寝泊りするために畳敷きとなっているそうである。

2・京都市学校歴史博物館 正門と石垣(国登録有形文化財)-京都市下京区御幸町通仏光寺下るー

京都は幕末の動乱や明治維新の東京遷都により衰退の危機にあったが、
京都復興に力を入れたのが“教育”であった。
1869(明治2)年、日本最初の学区制の番組小学校が64校作られた。
国の学区制公布は明治5年であった。







京都市学校歴史博物館は、1982(昭和57)年に廃校した番組小学校であった開智小学校を利用して1988
(昭和63)年に開館した。
番組小学校や学校の歴史資料、卒業生などが寄贈した美術品などを保存し展示を行っている。

3・旧京都市立有済小学校太鼓楼(国登録有形文化財)-京都市東山区古門前通大和大路東入るー

望 楼
1876(明治9)年に建築された。
木造2階建ての旧京都市立有済小学校講堂中央に付設された望楼。 









木造2層の板張りの簡素な造りで、現校舎の新築の際に屋上に保存された。
望楼で太鼓を叩いて時刻や火事を知らせて活躍した。

4・島津製作所 創業記念資料館(国登録有形文化財)-京都市中京区木屋町通二条下るー


創始者・島津源蔵氏がX線装置や画期的な製品を生みだした島津製作所の創業地である。









右の写真の手前(低い建物)が1888(明治21)年の
建築で、奥の高い方が明治27年の建築である。

                    ー島津源蔵氏旧邸ー




5・俵屋旅館(国登録有形文化財) -京都市中京区麩屋町通姉小路上るー

京都に現存する最古の旅館として知られており、幕末の禁門の変で焼失したが再建された。
洗練された数寄屋建築で、全室から中庭・外庭が見えるように設計されている。















              麩屋町通りを挟んで                    左=柊屋
                    右=俵屋





6・京都ダマシンカンパニー (国登録有形文化財)-京都市中京区三条富小路東入るー



旧渡邊徳時計店。
1890(明治23)年竣工。
正面が三連アーチの木骨煉瓦造り2階建ての旧時計店(現洋装店)で民間商業建築としては最古の属する。

                          

2階部分が道路より後退させているのが特徴。                         









7・旧武徳殿 (重要文化財) -京都市左京区岡崎西天王町ー

武徳殿は平安時代の内裏にあった殿舎の一つで、宮中で競馬などを観覧する際に用いられた。
                            





この武徳殿は平安遷都1100年記念で1899(明治32)年の建築。
外観は和風で車寄せの唐破風は皇族用で、場内北には玉座が設けられている。  現在は「武道センター」として活用。

8・旧二条駅舎 (京都市指定有形文化財)-京都市下京区歓喜寺町ー

民間の「京都鉄道」が1904(明治37)年に本社社屋を兼ねて建築した日本現存最古の木造2階建て和風駅舎である。







平安神宮を模して造られたと言われており、屋根の上には鴟尾が載っている。
鬼瓦には「京都鉄道」の社章がそのまま残っている。

9・パビリオンコート (国登録有形文化財) -京都市東山区粟田口三条坊城(清蓮院前)-



旧中山合名会社美術館で1904(明治37)年(和館)が建築された。
洋館は1920(大正9)年の建設。
古美術品商の山中合名会社の顧客向け迎賓施設であり、美術館として建てられた。
施工は清水組。





10・旧並河靖之邸 (国登録有形文化財) -京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町ー
                         
                         
                          





1894(明治27)年建築の表屋・主屋・旧工房・旧窯場が有形文化財に指定されている。
庭は「水の庭」と言われ七代目・小川治兵衛が作庭。
並河靖之は1845(弘化2)年 京都生れ、明治大正期の七宝作家。
清蓮院宮近侍の並河家へ養子となり、実業家を目指して有線七宝技術を学び、当時京都に居た独人化学者ワグネルの指導を受け、独自の技法も開発し日本の七宝を世界レベルに引き上げた。
有線七宝技術の精緻な線置きによる精巧な文様表現の日本画的な作風で七宝界を代表する作家であった。
1896(明治29)年には帝室技芸員に任命されている。

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