2011年1月20日木曜日

「京の近代建築」(その2)


カメラ片手にぶらりと出かけました。
明治時代(2)

1・龍谷大学 (京都市下京区七条通大宮東)
正門から本館を望む



☆本館(重要文化財)
龍谷大学は1639(寛永16)年に西本願寺が設立した学寮を起源とし、1922(大正11)年に龍谷大学とされた。                


本  館











     本館は、1879(明治12)年に竣工した。
北 黌







☆北黌・南黌(重要文化財)
本館を挟んで北黌と南黌は左右対称になって
おり、白亜の壁と欧風窓の優雅な建築物で本館と
同じ 1879年に竣工した。
旧守衛所






                        ☆旧守衛所(重要文化財)
          煉瓦造り平屋建てで、内部は寝泊りするために畳敷きとなっているそうである。

2・京都市学校歴史博物館 正門と石垣(国登録有形文化財)-京都市下京区御幸町通仏光寺下るー

京都は幕末の動乱や明治維新の東京遷都により衰退の危機にあったが、
京都復興に力を入れたのが“教育”であった。
1869(明治2)年、日本最初の学区制の番組小学校が64校作られた。
国の学区制公布は明治5年であった。







京都市学校歴史博物館は、1982(昭和57)年に廃校した番組小学校であった開智小学校を利用して1988
(昭和63)年に開館した。
番組小学校や学校の歴史資料、卒業生などが寄贈した美術品などを保存し展示を行っている。

3・旧京都市立有済小学校太鼓楼(国登録有形文化財)-京都市東山区古門前通大和大路東入るー

望 楼
1876(明治9)年に建築された。
木造2階建ての旧京都市立有済小学校講堂中央に付設された望楼。 









木造2層の板張りの簡素な造りで、現校舎の新築の際に屋上に保存された。
望楼で太鼓を叩いて時刻や火事を知らせて活躍した。

4・島津製作所 創業記念資料館(国登録有形文化財)-京都市中京区木屋町通二条下るー


創始者・島津源蔵氏がX線装置や画期的な製品を生みだした島津製作所の創業地である。









右の写真の手前(低い建物)が1888(明治21)年の
建築で、奥の高い方が明治27年の建築である。

                    ー島津源蔵氏旧邸ー




5・俵屋旅館(国登録有形文化財) -京都市中京区麩屋町通姉小路上るー

京都に現存する最古の旅館として知られており、幕末の禁門の変で焼失したが再建された。
洗練された数寄屋建築で、全室から中庭・外庭が見えるように設計されている。















              麩屋町通りを挟んで                    左=柊屋
                    右=俵屋





6・京都ダマシンカンパニー (国登録有形文化財)-京都市中京区三条富小路東入るー



旧渡邊徳時計店。
1890(明治23)年竣工。
正面が三連アーチの木骨煉瓦造り2階建ての旧時計店(現洋装店)で民間商業建築としては最古の属する。

                          

2階部分が道路より後退させているのが特徴。                         









7・旧武徳殿 (重要文化財) -京都市左京区岡崎西天王町ー

武徳殿は平安時代の内裏にあった殿舎の一つで、宮中で競馬などを観覧する際に用いられた。
                            





この武徳殿は平安遷都1100年記念で1899(明治32)年の建築。
外観は和風で車寄せの唐破風は皇族用で、場内北には玉座が設けられている。  現在は「武道センター」として活用。

8・旧二条駅舎 (京都市指定有形文化財)-京都市下京区歓喜寺町ー

民間の「京都鉄道」が1904(明治37)年に本社社屋を兼ねて建築した日本現存最古の木造2階建て和風駅舎である。







平安神宮を模して造られたと言われており、屋根の上には鴟尾が載っている。
鬼瓦には「京都鉄道」の社章がそのまま残っている。

9・パビリオンコート (国登録有形文化財) -京都市東山区粟田口三条坊城(清蓮院前)-



旧中山合名会社美術館で1904(明治37)年(和館)が建築された。
洋館は1920(大正9)年の建設。
古美術品商の山中合名会社の顧客向け迎賓施設であり、美術館として建てられた。
施工は清水組。





10・旧並河靖之邸 (国登録有形文化財) -京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町ー
                         
                         
                          





1894(明治27)年建築の表屋・主屋・旧工房・旧窯場が有形文化財に指定されている。
庭は「水の庭」と言われ七代目・小川治兵衛が作庭。
並河靖之は1845(弘化2)年 京都生れ、明治大正期の七宝作家。
清蓮院宮近侍の並河家へ養子となり、実業家を目指して有線七宝技術を学び、当時京都に居た独人化学者ワグネルの指導を受け、独自の技法も開発し日本の七宝を世界レベルに引き上げた。
有線七宝技術の精緻な線置きによる精巧な文様表現の日本画的な作風で七宝界を代表する作家であった。
1896(明治29)年には帝室技芸員に任命されている。

         =各写真はクリックで拡大します=






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