京都府庁
1・京都守護職上屋敷址碑(京都府庁内)京都府庁は幕末の京都守護職上屋敷が
あったところで、会津藩の松平容保が
京都所司代・京都町奉行・京都見廻組・
新撰組などを傘下に市中の治安維持に
努めた。
(写真はクリックで拡大します)
2・京都府庁東方(京都御苑西)の碑たち
A・管家屋敷址(烏丸通り丸太町上る)
言わずと知れた菅原道真公の神社で、生誕の地と言われている。
ただ京都には道真公生誕の地は数か所あって、どれが本当か定かでない。
B・旧二条城跡(下立売通り室町)
(ルイス・フロイスの報告書)
本能寺の変のとき、信長の長男・信忠は
ここで明智軍と戦い火を放って自刃した。
(現存する二条城とは別)
C・斯波氏武衛陣・足利義輝邸跡(室町通り下立売下る)
「武衛陣町」という変わった町名がある。
室町幕府の守護名で「武衛」と呼ばれた斯波義将の屋敷があった場所で、その後、
13代足利義輝が邸宅を構えて幕府を置いた。
しかし間もなく三好長慶、松永久秀に襲われて屋敷は焼失し、義輝も戦死した。
3・茶屋四郎次郎屋敷跡(京都府庁西)
本姓は「中島」であったが小川通り出水
上るの茶屋町に本邸を構えてから
「茶屋」と改めたという。
また「四郎次郎」は世襲の名で代々四郎
次郎と称した。
4・桂昌院菩提寺「真敬寺」(下立売通り堀川西)
桂昌院は「生類憐みの令」で有名な犬公方・徳川5代将軍・綱吉の生母である。
桂昌院は京都堀川出水西の八百屋の娘で「お玉」と言った。
そのお玉が縁あって江戸城大奥へ侍女として仕えたところ、三代将軍・家光の目に
とまり手が付き、生んだ子が将軍になった。 文字通り「玉の輿」であった。
その八百屋の菩提寺が「真敬寺」。
5・京都市電北野線記念碑(北野天満宮前)
明治28(1895)年、平安遷都千百年記念に併せて内国博覧会が京都で開催され、日本最初の市街電車が走った。
最初は京都電気鉄道で運営された後に京都市に買収された。
当初は京都駅~中書島間の伏見線が開通され、順次、岡崎~木屋町二条~京都駅、祇園~四条大宮、西大路四条~梅津、京都駅~北野間の北野線など数種の路線が開通された。
その市電は、昭和36(1961)年7月31日に廃止された。
6・北野天満宮境内の碑(北区)
無実の罪で九州・大宰府へ流されていた菅原道真公は、延喜3(93)年2月25日
逝去、その後、京都の現在地に祀られた。(毎月25日は天神さんの縁日)
A・影向松(ようごうのまつ)
毎年初雪の日に天神さんが降臨されて歌を
読まれるという松。
(正面鳥居を入った右側)
B・露乃五郎兵衛碑
江戸時代初期の上方噺家で京落語の祖と
言われた名人噺家。
ここ天満宮で落語を演じた露乃五郎兵衛の
記念碑が建つ。
C・東向観音
菅原道真公作の十一面観世音菩薩像を祀る。
明治天皇皇后の昭憲皇太后の勉学所なり。
菅原道真公の母君の墓。
E・土蜘蛛塚
平安時代中期の武将・源頼光は原因不明の熱病
にかかり、ある夜、怪しげな法師が現れたので
斬りつけたところ血痕が北野の森まで続いて
おり、そこに大きな蜘蛛がいたので退治して、
熱病を治したという謂れがある塚。
F・太閤の北野大茶会址 G・茶会で使われた井戸
H・「さざれ石」
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