明治時代(その1)
第一回目は同志社付近を歩いた。
1・礼 拝 堂(重要文化財) (京都市上京区今出川通烏丸東入る)
同志社大学今出川キャンパスには重要文化財5棟など明治時代の優れた近代建築物が存在する。
この礼拝堂は、米国人D.C.グリーンが設計し、1886(明治16)年に竣工したアメリカン・グシック調の鉄板葺き煉瓦造り建物である。
日本におけるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては最古の建築物である。
2・彰 栄 館(重要文化財)
同志社教員で宣教師でもあったD.C.グリーンの設計によるゴシック様式の瓦葺き煉瓦造りで明治17年に竣工した。
京都市内に残る残る煉瓦造り建物の中では最も古い遺構である。
同志社中学校が2010年8月まで使っていた。
3・有 終 館(重要文化財)
前記の礼拝堂や彰栄館と同じ米人・グリーンの設計により1887(明治20)年に書籍館として建築された。
1922(大正11)年、図書館としての役割を終えた際、時の総長・海老名弾正が「有終館」と名付けた。
4・ハリス理化学館(重要文化財)
米国実業家J.N.ハリスの寄付でハリス理科学校(理工学部の前身)として1890(明治23)年にイギリス人A.H.ハンセルの設計による英国積みの煉瓦建築で竣工した建物である。
5・クラーク記念館(重要文化財)
ドイツ人R.ゼールの設計で1894(明治27)年に開館したドイツのネオ・ゴシックを基調とする八角の塔屋を持った重厚な建物で、アメリカ人のB.W.クラーク夫妻の寄付で建築され、同志社のシンボル的建物である。
2004年より保存修理工事が行われ、2008年2月に完了した。
6・新島襄旧邸(京都市指定文化財)
新島襄の私邸として彼自身が設計したと伝えられ、
明治11年に竣工した。
明治時代の和洋折衷住宅で、内部には明治初期の
家具57点が残されている。
(見学無料)
7・同志社フレンドピースハウス(登録有形文化財)
今出川通り寺町下る京都御苑の東にある。
1887(明治20)年に開業した同志社病院と京都看護婦病院の院長と校長を兼任した宣教師ジョン・C・ペリーの旧邸である。
現在も会議室や客員研究室、共同研究室や留学生寮として使用されている。
*以上が明治時代近代建築 同志社関連*
8・旧日本銀行京都支店[京都文化博物館](重要文化財) -京都市中京区三条通高倉-
1906(明治39)年6月、東京駅や日本銀行本店などを設計した辰野金吾が煉瓦造2階建ての日本銀行京都出張所として設計、竣工した。
1967(昭和42)年、日本銀行京都支店が河原町二条へ移転に伴い、1986(昭和61)年に京都府へ寄贈され、1988年10月に博物館別館として公開された。
ー屋上飾りー |
1902(明治35)年、煉瓦造2階建て郵便局として建築された。 設計は吉井茂則。
1973(昭和48)年、郵政省は業務の機械化が対応できないと改築を計画。
「外壁を残す」意見を取り入れ、昭和51年に改築に着手。
内装を改築する「ファサード保存」を推進し昭和54年に完成した。
昔の雰囲気を残したまま内部改装する「外壁保存」第一号である。
10・京都府庁旧本館(重要文化財) -上京区下立売通新町-
1904(明治37)年12月に竣工。
1971(昭和46)年まで京都府庁本館として使用されていた。
ー旧知事室ー |
ルネッサンス様式の外観は、正面の高い屋根を中心に左右対象に両翼が張り出した形になっている。
建物内部は和風様式も取り入れられており工芸品の風格を備えている。
ー廊 下ー |
京都府庁旧本館は映画・TVのロケに使われるところ。
NHKの3年越しの大河ドラマ「坂の上の雲」の海軍省の設定で正面玄関や中央階段、廊下などが使われた。
変わった利用方法では、結婚式場として貸しているので飲食以外の式のみなら格安で利用できる。
ー正 庁ー |
ー正庁の天井ー |